イオンモール 岡山 周辺 不戦の誓い新たに 岡山空襲71年(1945年6月29日)

イオンモール 岡山 周辺 不戦の誓い新たに 岡山空襲71年(1945年6月29日)

岡山空襲(1945年6月29日)から71年となった29日夜、岡山市北区表町の城下地下広場で、ろうそくをともして犠牲者を悼む「ピースキャンドル」(市民有志による実行委員会主催)があり、家族連れらが平和への思いを新たにした。 午後8時、紙コップに入れた約500本のろうそくに参加者が次々に点火。「6・29」の数字とピースマークが浮かび上がる中、手に持ったろうそくにも火を付け、約50人が黙とうをささげた。 岡山空襲を題材にした紙芝居の上演、空襲を体験した元教員の松谷恭子さん(82)=同市東区=の話もあり、親子らが聞き入っていた。 小学6年の長女と参加した女性(39)=同市中区=は「ろうそくの火を継ぎながら、子どもたちのためにも戦争は絶対にだめだと誓った。平和を守っていきたい」と力を込めた。 ピースキャンドルは2005年から岡山空襲の日に合わせて開いている。同市内ではこの日、就実中学・高校(同市北区弓之町)でも生徒約80人が発光ダイオード(LED)ライト80本を点灯して犠牲者をしのんだ。
不戦の誓い新たに 岡山空襲71年(1945年6月29日)
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疎開で焼失免れた蔵書紹介

71年前の岡山空襲直前、当時の岡山市立図書館が疎開させ、焼失を免れた蔵書を紹介する企画展が29日、同市北区二日市町の市立中央図書館で始まった。疎開させたと伝わる約300冊のうち判明した約200冊を展示。1年かけて調べ、図書館設立100周年を記念して開いた。 約8割が、漢学者山田貞芳(1869-1920年)と医学者高橋金一郎(1866-1919年)が寄贈した書物。池田家に仕える儒学者が牛窓を訪れた朝鮮通信使と交わした詩文集▽享保年間(1716-36年)の岡山城下の様子をつづった紀行文「金山詣(かなやまもうで)」?といった郷土の歴史、文化に関わるもののほか、ナポレオン法典(1808年刊)やペリー提督日本遠征記(1856年刊)などの洋書も目を引く。 燃えると代わりのない手書きの写本が目立ち、時局を反映して皇室関係の書籍も保護されていた。 同市南区の男性(23)は「残ったのは奇跡。疎開させてすぐに空襲に遭ったとの説明を読み、守り切れなかったことへの職員の無念さも感じた」と話した。 市立図書館は1916年に岡山県から設立認可を受け、2年後に同市中区小橋町に開館し、空襲で焼失。当時の吉岡三平館長が同沢田の寺に移した約300冊が残ったとされるが、戦後は他の蔵書に紛れていた。飯島章仁学芸副専門監が昨年6月ごろから、戦前の目録や書物の蔵書印などを基に調査した。 8月7日まで。入場無料。7月18日を除く月曜日は休館。

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岡山空襲の爪痕たどる

◇30人参加し見学会

 岡山空襲があった今月29日を前に、岡山市内に残る戦跡を巡る見学会が26日、同市北区の岡山城や旧内山下小学校などで行われ、市民ら約30人が参加した。

 岡山の戦争と戦災を記録する会(片山和良会長)が1994年から、会員が解説する形で開催。23年目の今年は、東山公園(岡山市中区)周辺をたどるコースを終え、9月には岡山大の構内などを回るコースを予定している。

 この日は、岡山城を出発地点に岡山後楽園周辺で実施。空襲で焼けて中が空洞になった城内のエノキや、所々が破損している岡山神社の灯籠など、各地に残る爆撃の爪痕を見て回り、「平和の像」のある石山公園まで歩いた。

 片山会長は「戦前生まれが少なくなり、戦争を語り継いでいる人がいなくなっていく。多くの人に戦跡を巡ってもらい、戦争や空襲について伝えていきたい」と締めくくった。

 同区津高、土木作業員逢沢学さん(18)は「焼けて色が変わった城の石垣など、終戦から71年たっても傷痕が残っていることがわかった。学校の授業でも取り上げるなどして、若い人にももっと知ってもらいたい」と話していた。


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岡山空襲71年 追悼式に1600人

 1945年6月29日の岡山空襲から71年を迎えた29日、犠牲者の追悼式が岡山市北区の市民会館で営まれた。遺族ら約1600人は冥福を祈るとともに、平和への思いを新たにした。

 市は、市街地の6割以上が焼失、1700人以上の命が奪われたとし、この日を「平和の日」と定め、90年から式を営んでいる。犠牲者の名簿を奉納した大森雅夫市長が「戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代へと語り継ぎ、平和で安全・安心に暮らせる岡山の発展に取り組んでいく」と誓い、参列者は献花台に花を手向け、静かに手を合わせた。

 その後、小中学生5人が「核兵器が完全に廃絶されることを願い、平和で幸せな岡山市を築くため、不断の努力を続けることを誓う」とする「平和都市宣言」を読み上げた。

 父親がフィリピンに出征中に戦死したという同市中区江崎、主婦堀家正子さん(71)は「二度と戦争をしてはいけないと、改めて強く感じた。平和を維持していくことの大切さを若い世代に伝えていきたい」と話した。



 ◇資料センター来年閉鎖 日笠さん「生きている限り調べたい」

 11歳の時に体験した岡山空襲の研究を続けてきた「岡山空襲資料センター」(岡山市中区御成町)の日笠俊男代表(82)は29日、自宅で71年の節目を迎えた。自身も高齢になり、今年初め、自宅に設けた同センターを来年6月28日で閉館することを明かした。

 空襲では、焼夷しょうい弾が自宅を直撃した。「なぜこんなことが起きるのか」。その思いから、中学教員を退職後、本格的に1次資料の収集や研究に取り組み、空襲から55年の2000年6月29日にセンターを開設した。

 空襲の全体像を知るため、資料によって異なる空襲の時刻や敵機の数、警報発令の遅れなどを、体験者の証言や米軍の文書などを照合しながら検証。「歴史の真実こそが平和への力になる」と信じて史実に迫る努力を続け、研究の成果は十数冊の本にまとめた。

 資料は書斎や倉庫で管理するも、個人で所有するのは限界に達した。終戦直後に米国が作成した報告書の複写などは、県立記録資料館(同市北区)に寄贈したが、自治体が専門の資料館を開設し、保管・研究してくれることを望んでいる。

 閉館までの発行を目指す新著には、米軍の機雷作戦や、鉄筋コンクリート建造物の被災状況、空襲当日の炊き出しなどを盛り込むつもりだ。日笠さんは「生きている限り、調べたい。若い人たちにも歴史を学び、なぜ戦争が起きたのかを考えてほしい」と話す。

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参考
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